鏡餅の由来は蛇だという説がある?蛇神信仰や三種の神器との関係性

お正月の飾り付けとして、日本の家庭で古くから親しまれている鏡餅。
毎年、年の瀬になると当たり前のように準備し飾っているかもしれませんが、その一つ一つの飾りが持つ深い由来について、じっくりと考えたことはありますでしょうか。
実は、鏡餅の由来には、単なる縁起物という言葉だけでは片付けられない、古来の神道における自然観や生命観が色濃く反映されています。
そして、そのルーツを探ると、一説には私たちの想像を超える「蛇」という生き物が深く関わっているという、大変興味深い説が存在するのです。
この記事では、鏡餅に込められた本当の意味、意外な蛇との関係性、そして橙や紙垂といった様々な飾りに隠された意味について、古代からの信仰を丁寧に紐解きながら、その奥深い世界を詳しく解説していきます。
- 鏡餅と蛇の意外な関係性
- 蛇が信仰の対象となった歴史的背景
- 鏡餅の装飾に隠されたさまざまな意味
- 地域による鏡餅のユニークな違い
鏡餅の由来は蛇だという説がある?
鏡餅の由来は蛇だという説について
鏡餅の由来として最も広く知られているのは、三種の神器の一つである神聖な「八咫鏡(やたのかがみ)」を模したという説です。
しかし、それと並んで近年注目され、有力視されているのが「蛇(へび)がとぐろを巻いた姿」をかたどったものだという、非常に興味深い説です。
この説の根拠は、まず言葉の由来に見出すことができます。
民俗学者の吉野裕子氏の研究によれば、古語では蛇のことを「カカ」や「ハハ」と呼んでいたとされています。
現在でも「ヤマカガシ」という蛇の名前にその名残が見られるように、「カガ」は蛇を指す言葉でした。
この「カガ」の姿をかたどったお餅が「カカミ餅」となり、後に「鏡」の字が当てられ、現在の「鏡餅」へと変化したのではないかと考えられています。
また、作家の高田崇史氏は、もし鏡が由来であるならばお餅は平たい一枚で良いはずであり、わざわざ二段に重ねる形状は、まさしく蛇がとぐろを巻いている姿そのものではないか、と指摘しています。
神社の見解と伝承
この説は単なる学術的な推論に留まらず、実際に神様として蛇を祀る神社でも公式に語られています。
例えば、宮崎県にある白龍神社では、公式サイトで「お正月お飾りする鏡餅は『白ヘビさまのとぐろのお姿』から発祥したものだと言われ」と明確に記しています。
さらに、出雲大社に伝わる「龍蛇神」の掛け軸には、三方の上に鎮座するとぐろを巻いた蛇神が描かれており、その姿は鏡餅と非常によく似ています。
このように、鏡餅と蛇の深い関係は、民俗学的な考察から日本各地の神社の伝承に至るまで、様々な形で力強く語り継がれているのです。
なぜ蛇は信仰の対象になったのか?
現代の感覚では蛇を「怖い」「苦手」と感じる人も少なくありませんが、古来の日本では、蛇は神聖な生き物として篤い信仰の対象となっていました。
その背景には、人々の生活や死生観に大きな影響を与えた、蛇の持つ特異な生態と性質が深く関係しています。
死と再生の象徴「ウロボロス」
蛇が持つ最も神秘的な特徴は、定期的に古い皮を脱ぎ捨てて新しい姿になる「脱皮」です。
古代の人々はその姿に、単なる成長だけでなく、死んで生まれ変わる「死と再生」、そして終わりのない「永遠の生命力」という深遠な概念を見出しました。
自らの尾を飲み込んで円環をなす「ウロボロス」が世界各地で永遠の象徴として描かれるように、蛇の生態は生命の循環そのものを体現していると捉えられたのです。
この「生まれ変わり」のイメージが、一年が終わり新しい年が始まるお正月の再生儀礼と強く結びついたと考えられています。
豊穣をもたらす「田の神」としての役割
稲作を中心とした農耕社会であった日本では、収穫を左右するネズミなどの害獣は暮らしを脅かす深刻な問題でした。
蛇はそうした害獣を捕食してくれるため、農作物を守り、豊かな実りをもたらしてくれる「田の神」や、その神の使いとして非常に大切にされてきたのです。
また、蛇が水辺に多く生息することから、稲作に不可欠な「水の神」とも結びつけられました。
自然への畏怖と信仰
蛇への信仰は、恵みへの感謝だけではありませんでした。
例えば、『古事記』に登場するヤマタノオロチは、出雲地方を流れる斐伊川の氾濫を神格化したものと考えられています(出典:國學院大學メディア「自然の驚異をうつす蛇への信仰」)。
人々は、恵みをもたらす一方で時に牙をむく自然の恐ろしさを巨大な蛇の姿に重ね、それを鎮めるために祀ったのです。
このように、蛇は生命力や豊穣、そして自然への畏怖という、人々の根源的な感情が投影された神聖な存在だったのです。
鏡餅の串柿などは三種の神器に由来する
鏡餅のルーツを探る上で、蛇由来説と並んでもう一つ決して無視できない有力な説が、日本の皇室に古くから代々受け継がれる三種の神器(さんしゅのじんぎ)を模しているというものです。
この格調高い説によれば、鏡餅を構成する一つ一つの飾りが、それぞれ神器に対応しているとされています。
具体的には、元禄10年(1697年)の書物『本朝食鑑』にも見られるように、古くから以下のような解釈がなされてきました。
| 鏡餅の飾り | 三種の神器 | 象徴する意味 |
|---|---|---|
| 丸い餅(鏡餅) | 八咫鏡(やたのかがみ) | 天照大神の御霊が宿るとされる神聖な鏡 |
| 橙(だいだい) | 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) | 生命力や魂の象徴とされる神聖な玉 |
| 串柿(くしがき) | 草薙剣(くさなぎのつるぎ) | 武力や決断力の象徴とされる神聖な剣 |
この説は、鏡餅をお正月の単なるお供え物というだけでなく、日本の神話体系の中心に位置する、極めて神聖な年神様の依り代(よりしろ)として捉えるものです。
蛇信仰が、自然や生命の循環に対する畏敬から生まれたアニミズム的な民間信仰に近いものであるのに対し、三種の神器説は、国家的な神道の儀礼としての側面を色濃く反映していると言えるでしょう。
どちらか一方の説が正しいと断定するのではなく、悠久の歴史の中で、庶民の間に根付いていた自然信仰と、朝廷や武家社会で重んじられた神道儀礼の意味合いが、少しずつ重なり合って現在の鏡餅の形が完成した、と考えるのが自然かもしれませんね。
鏡餅の由来と蛇について|その他の装飾の意味
鏡餅の上に乗っているのはみかんではない
多くの人が、鏡餅のてっぺんに飾られている愛らしい柑橘類を「みかん」だと思っていますが、その正体は、本来「橙(だいだい)」という別の果物です。
橙が選ばれるのには、非常に縁起の良い理由があります。
橙の実は、一度熟しても枝から落ちにくく、時には数年にわたって木に留まり続けるほど生命力が強いことで知られています。
このたくましい性質と、「だいだい」という名前の響きを「代々」にかけ、「家が代々、末永く繁栄し続けますように」という強い願いが込められ、子孫繁栄の象徴として飾られるようになったのです。
なぜ現代では「みかん」が使われるようになったのか?
本来は橙を飾るのが正式な習わしですが、橙は酸味と苦味が強く、生食にはあまり向きません。
そのため、現代では一般のスーパーなどで手に入りにくくなったことから、見た目が似ていてサイズの丁度良いみかんで代用されることが多くなりました。
もし市場などで橙を見かける機会があれば、その本来の意味を家族で話しながら飾ってみるのも、お正月の素敵な過ごし方ではないでしょうか。
鏡餅やしめ縄に付いている紙垂の意味は?
鏡餅や神社のしめ縄、玉串などから垂れ下がっている、特徴的なギザギザの形をした白い紙。
これは「紙垂(しで)」あるいは「御幣(ごへい)」と呼ばれるもので、その場所が神様をお迎えするのにふさわしい神聖な領域であることを示す、非常に重要な飾りです。
紙垂のギザギザとした独特の形は、天空から地上へと降り注ぐ雷光(稲妻)を表現していると言われています。
古来、稲妻は恵みの雨を呼び、稲を豊かに実らせる力があると信じられていたため、五穀豊穣の象徴でした。
同時に、雷鳴が轟き、光が走るその力強いエネルギーには、あらゆる不浄や邪気を祓い、その場を清める力があるとも考えられていたのです。
つまり、紙垂を飾ることは、年神様が安心して降臨できる、清浄な空間を準備したという証になるわけです。
ここにも見られる蛇との関連性
非常に興味深いことに、この紙垂が風にひらひらと揺れる様子が「蛇が木の枝にとぐろを巻いている姿」を表現している、という説も存在します。
また、しめ縄そのものが蛇の交尾する姿をかたどったものであり、子孫繁栄や豊穣の象徴であるという、より直接的な蛇信仰の説もあります。
清浄な空間を示す飾りにさえ、生命力あふれる蛇のイメージが重ねられている点は、日本の信仰の奥深さを示しているようです。
白ではなく紅白の鏡餅を飾る地域がある
鏡餅といえば「純白のお餅を二段に重ねたもの」というのが全国的な共通認識ですが、石川県金沢市を中心とした加賀地方では、上が赤(紅)、下が白の「紅白鏡餅」を飾るという、全国的に見ても非常に珍しい風習が今なお色濃く残っています。
年末になると、地域のスーパーや餅店には当たり前のように紅白の鏡餅が並び、全国展開する大手メーカーもこの地域向けに特別仕様品を製造するほど、深く根付いた文化なのです。
なぜこの地域だけ紅白なのか、その起源には加賀百万石の歴史を反映した諸説があります。
紅白鏡餅の由来とされる主な説
- 加賀藩前田家の風習説:加賀藩の藩祖・前田利家は菅原道真の子孫を称しており、道真が愛した「紅梅・白梅」にちなんだという説が有力です。また、前田家の華麗で豪壮な武家文化の美意識の表れとも言われています。
- 源平合戦由来説:倶利伽羅峠の戦いにちなみ、源氏の白旗と平氏の赤旗を模したという説です。
- 五穀豊穣祈願説:白い餅を水稲(米)、赤い餅を陸稲(雑穀)に見立て、豊かな収穫を願ったという説もあります。
かつては上下の色が逆だった?
さらに面白いことに、現在では「上が赤、下が白」で飾られるのが一般的ですが、江戸時代の記録を調べると、加賀藩主は「上が白、下が赤」で飾っていたとされています。
これには、庶民が殿様と同じ飾り方をするのは恐れ多いとして、あえて逆にしたのではないか、という説があります。
この地域独特の紅白鏡餅は、加賀百万石が育んだ豊かな歴史と文化が、今なお人々の暮らしの中に確かに息づいている貴重な証と言えるでしょう。
鏡餅の由来は蛇だという説がある?まとめ
この記事の重要ポイントを箇条書きでまとめます。
- 鏡餅の由来には神が宿る「鏡」を模した説がある
- 同時に蛇がとぐろを巻く姿を模したという有力な説も存在する
- 古語の「カカ(蛇)」が「カガミ」の語源という言語的な考察もある
- 宮崎県の白龍神社など蛇を祀る神社も鏡餅と蛇の関連を伝えている
- 蛇は脱皮を繰り返すため古来「死と再生」の象徴とされた
- 農作物を守る益獣として「豊穣の神」としても信仰された
- もう一つの説として鏡餅は「三種の神器」を象徴するとも言われる
- 丸い餅は「八咫鏡」、橙は「八尺瓊勾玉」、串柿は「草薙剣」に対応する
- 鏡餅の上に乗せるのはみかんではなく本来は「橙(だいだい)」
- 橙は「代々」の語呂合わせで子孫繁栄を願う縁起物である
- ギザギザの紙飾りは「紙垂」といい雷光を模して邪気を祓う意味を持つ
- 紙垂の形が蛇の姿を表すという説も存在する
- 石川県金沢市周辺では全国でも珍しい「紅白」の鏡餅が飾られる
- 紅白鏡餅は加賀藩の風習に由来すると考えられている
- 鏡餅一つにも多様な説や地域の文化が反映されている
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